ぼくはフルカスと二人で村長の屋敷をこっそり抜け出し、牢屋らしき建物へ向かった。
カダルは既にいびきをかいていたし、フォンは別の部屋だったから。
裏手に回り、牢屋を覗き込めば、中には囚人の男がひとり。身なりはぼろぼろだが、神官服を着ている。まだ若いその男は、ぼくたちに気付き、驚きの声を上げた。
「よかった! あなたがたは外から来た人ですね」
鉄格子に顔を寄せ、嬉しそうに顔をほころばせる。その様子は、とても悪事を働いた囚人とは思えない。
警戒しつつ鉄格子の前まで近付くと、男は声を潜めて言った。
「この牢の外壁、右から2つめ、下から4つめのレンガがひとつ外れるはずです。調べてみてください。そこにオーブを隠してあります」
それは、あまりにも唐突な、予想もつかない言葉だった。面食らうぼくの肩を、フルカスがぽんと叩く。
囚人の男は「時間がない」と必死に訴えている。とにかく質問は後回しだ。
壁の周辺はもろくなっていて、石で土をかき出すとブロックが外れた。レンガの隙間に、何かがきらめいている。
狭すぎて、フルカスの腕は入らない。ぼくは腕を伸ばして、碧色に輝く美しい宝玉を取り出した。
「これは……?」
「六つのオーブのひとつ、グリーンオーブです」
ひどく安堵したような声で男が呟く。まるで、もう心残りはない、と言いたげに。
どういうことなのか、詳しく事情を聞きたかった。しかし、その暇はなかった。
不意に暗闇の中に明かりが灯り、黒い影が近づいてくるのが見えた。
「逃げてください、早く!」
男が叫び、ぼくとフルカスは、言われるまま牢から離れ、駆け出した。振り返ったぼくの目に映ったのは、尖った牙と蝙蝠のような羽を持つ魔物の姿。
牢屋を見回りに来たのは、人間ではなく、魔物だ。なぜ魔物が村の中を徘徊しているのか、どうして囚人の神官がオーブを持っていたのか。
頭の中でぐるぐると思考が渦巻き、やがて意識はその渦の中に飲み込まれていった。
朝陽が、直接顔に射しかかる。昨夜、カーテンを閉め忘れたのだろうか。
まぶしさに軽く寝返りを打って、もう一度夢の中に戻りかける。
(そういえば、いつベッドに入ったんだろう……)
昨夜からの記憶が、靄がかかったように不鮮明だった。確か、屋敷の裏手の牢屋へ行き、神官服を着た囚人と言葉を交わした。
はっとオーブのことを思い出し、ぼくは慌てて跳ね起きる。その瞬間、ベッドが軋みを上げ、大音響と共に底が抜けた。
「いてて……。な、なんだ、これ?」
「おはよう、アレル。朝起きたら、この有様よ」
部屋の中で、フォンが苦笑している。正確には、部屋なんかじゃない。寝ていたベッドはボロ板同然。壁はところどころ剥がれ落ち、蜘蛛の巣だらけ。
目を覚ましたフルカスとカダルも、室内の変わり果てた様子に目を見張っていた。
革袋を探ると、淡く光るグリーンオーブは確かにあった。昨夜のことは、現実。
なんだか、狐につままれたようだ。
もちろん村長はいないし、村中を歩き回っても、人などひとりもいない。建物は荒れ果て、あちこちで毒の沼地がブクブクと泡を吹いている。
囚人がいた牢屋も、同じく廃墟と化していた。崩れ落ちた壁から牢の中に入ると、冷たい床に白骨化した屍が一体ある。
近くの壁には、釘で引っかいたのだろう文字が刻まれていた。
『生きているうちに、オーブを渡せてよかった』
あの神官が記したに違いない。きっと、これは彼の最期の言葉だ。
重苦しい気持ちで、ぼくたちは海賊たちが待つ船に戻った。
テドンの村の真実を知ったのは、その数日後。
かつて、テドンの村の教会にグリーンオーブがあった。それゆえに、魔王軍が村ごとオーブを葬ったという。女も子供も村のすべてを、一夜にして。
ぼくたちが見た村の光景は、テドンの人々の悲しい思いが作った幻だったのかもしれない。
「どうか、安らかに……。必ず、魔王を倒すから」
テドンから遠く離れた海上で、ぼくは心に誓いを立てるように、白い花をそっと海に放った。